研修医の声
お作法を知る
先日、いとこの結婚式にお呼ばれして行ってきました
結婚式ネタと言うと、2年程前にS先生?だかが書かれていたのを思い出しますね
私、年齢27になりますが、これまで出たことがある結婚式はいとこ2回のみ
地元の友人で今も連絡を取り合っているのもごく僅かで誰も県内にいませんし、その中で結婚した人が居なければ、卒後に大学の友人で結婚したと聞いたのも誰もいません
私の知っている結婚式はいとこの2回分だけ、それも同じお店で同じ場所だけです
ですから私の知っている結婚式とは「田んぼに生まれた生粋の鶴岡人が、グランドエルサンでするもの」と至極偏っています
それ故に、演出や展開なんかも2回目にして既視感満載
だからこそ見える差異の数々を、弟と共に間違い探しのように見つけてはにやつくものでした
いとこ(兄)の時は外人だった神父が日本人、それも自治会長にしか見えない爺さんで、初手で噛まれた時には笑ってはいけない24時の開演かとさえ錯覚した程。(あとあとエルサンの関係者に聞くと神父のグレードがあるそうな...)
しかも人が違えば話す内容も違うってんで、ゴリゴリのキリスト教っぷりに、仏教徒の我々は果たしていいものか?と甚だ疑問に
結婚の儀式であるならば信仰心無くしては実現しえないのでは?
天から見つめるイエス・キリストも、流石にノーを突きつけるのでは?
しかしてどうやら、論点はそこに無いよう。でも、これが流行りと言うなら仕方ない。今のジャパニーズの結婚式のスタンダードなのデス。私が無知なだけでした
このように、見つけたからこそ声に出したくなるもの、見つけても決して声に出してはいけないものも様々なものです
私はあくまでお呼ばれした参加者、第三者としての立ち位置な為気楽に見ていられはしますが、当事者側としてはそんな簡単なものでは無いのでしょう
同様な流れの結婚式をいくら見たことがあるといっても、それを催す側であったり、その親であれば、受け取り方もこみ上げる者も様々だと思います
親目線で見ても、一番目の子の結婚式と二番目の子の結婚式では、全く違う意味があるようです
いつも元気ハツラツにしていた、一個下のバカなクソガキにしか思っていなかったいとこも、その日は立派にしていました
凛とした顔立ちに似合うホワイトスーツに身を包んだその姿には、バカなほど実直で素直である彼の心が投影されているようでした。
といっても・・・笑いを狙えるところは狙えるところで、顔中ケーキまみれにしたり、ドヤ顔を各場面で決めてきたりとキャラ全開
これでもかと言うほどに彼らしい
両親に向けての言葉も自分で考え抜いて選んだ言葉なのでしょう
少ない語彙ながらも、どれも強い言葉で、ストレートに自分の気持ちをぶつけており、その姿に打たれた参加者は少なくなかったと思います
自分の気持ちを、考えを多くの人達の前で、最も伝えたい人に伝える
こういった自己表現が出来る場と言うのは、成人してからは結婚式くらいしかないのではないでしょうか
なんなら私なんかはブログで書きたいことを散々に書き散らしたり、思ったことはすぐに言う性格なので毎日が自己表現の場ではありますが、これまで公衆の場でそうした自己表現をする機会が設けられたのは、小学校4.5年位の2分の1成人式なんかが挙げられます
普通に生きてきた中で、皆の前で自分の気持ちを曝け出す機会なんてのは2回位しかないようです
その中でも、人生で最後とも言うべき自己表現の場が結婚式です
更に言えば、人生で最後に自己表現される場も同様に結婚式なのではないでしょうか
私が思うに、結婚式の意義は子の為と言うよりも親の為の側面の方が強いような印象を受けます。
明確な子育てのゴールと、新たな人生の始まりをお互いの自己表現で以って祝福しあうと同時に、親は祖父母に、子は親に役割が変わることを予感させます。
子は未来を受け入れて、親は過去を受け入れねばならない、と言い換えた方が適切でしょうか。
公然の場における親の為の踏ん切りの機会というニュアンスも強いようです。
こうした子と親の様々な現実との対面の儀を粛々と見つめる、というのが結婚式のお作法なんじゃないですかね
鶴岡のような田舎では、高校卒業してすぐに就職、20代で結婚して子を設け...と、現代社会の晩婚化の潮流を受けていないように思います
「次は順番的におめだの」
という叔父の言葉に、
「次ではねーぞ」
と即答するも、確かにこれが一般的だった時代に生き、一般的な地域に永住する者からすれば当然の一言なのかもしれません
ずっと鶴岡に生きてきた人からすれば、高校を出て地元に就職をして、家庭を築き、孫守りして...の流れはいわば当然。
私も荘内病院を出たらどこに行くかはわかりませんし、弟も山形市。両親には彼らの思う当たり前をさせてあげられそうに無くて、ほんと若干ながら申し訳なさを感じますが、孫守りを鶴岡で出来る日々は遠いどころか全く来ない可能性だってあります。
鶴岡を大分知ってはいますが、田舎者であっても私も現代っ子、場所に縛られない人生を望むものです。
そんな私が選んだのが、この荘内病院。医局のしがらみもなければ卒後の縛りもありません。
・地元民であっても、地元に縛られること無く2年だけ地元に帰ってきたい
・地元民でなくても、しがらみなく自分ファーストに2年過ごしたい
そんな方に大変オススメなのがこの場所
さあ、どうでしょう、荘内病院
1年目研修医 佐藤
PS
結婚式では、竹の露をバカバカ飲んで酔っ払いながら上記のような構成を考えておりました
最初から良い話に見えた人は、きっと私より酔っ払っていることでしょう
身を固めてしまってはやりたいこともできなくなります
ですので、これだけは絶対にやっておきたい
Aqoursのfinal liveないしは、F氏と共にモー娘。ライブに参戦したい
この参戦記を荘内病院ブログ内で書き、アクセス数を稼ぐ
これ以上の親孝行は無いんじゃないですかね
2018年11月19日