研修医の声

卓球の話

秘書さん、息子さんに卓球させましょうよ!!!!

最近私は口説いているのだ

秘書さんの息子さん、を

・・・

遡ればこの会話に行きついたのはようやく息つく暇が出来た昼下がりの頃

ここんとこ一週間は研修医室なりICUなりに居座り、24時間オンコール対応

昼間もなかなかのイベントが連続していたのだが、その日は全ての荷が下りていた

「ようやくゆっくり息を付けますよ」と言わんがばかりに、空き時間に秘書さんとたわいもない話をしていた

波の無い日常の一時に幸せを感じながらも、多忙の時を望んでしまう

責任の無い仕事よりも、責任のある仕事を任されメンタルを削りながら没頭する時間を欲してしまう

ゆっくり出来る時間があっても、退屈ですよ

そんなことを言っているとふと秘書さんは呟くのだ

その割には色々してますよね。二つブログやって、出前講座のスライド作って、イベント全部出て

言われてみれば確かにそうだ

それに卓球までして、そこからブログなんか書いていたら頭回っちゃって。だから夜寝れないんじゃないですか

御名答

病的にとりとめもなくわいてくる色んな考えを、全てまとめてしまうのだからそれは眠れない

もしここでまとめることが出来ないのなら、それは列記とした病気として治療できるだろう

どうも思いついたらまとめなければ納得できない性なのだから、もはやどうしようもない

しかし秘書さん、卓球といったな

そういえば秘書さん、息子さんにスポーツさせたいと言っていましたよね

秘書さん、息子さんに卓球させましょうよ!!!!

以前も取り上げたかもしれないが、私は根っからの卓球狂

ただ卓球をするのも、教えるのも、ふざけるのも、卓球に関するなら全部本気でやってしまう

物理学的・解剖学的考察をより柔和な言語へと言い換え、幅広い年代への指導に適応する方法の研究に昨今は勤しんでいるのだが、最近私の研究対象のキッズ達がメキメキと伸びている

元々全国大会に出る子達を相手に教えているのもあるのだが、小学生だけあって理論的な解釈の術を持っていない

小学生で習う学問と言えば数学・物理では無い

さんすう・りかなのだから

それに現代文で無く、こくご

大学時代、山形東高校、山大の学部生、医学部生と、県内で有数の高学歴層に指導する際は、最低限の大学受験レベルの知識を持つことを前提に、解剖学的知識の概説をして演繹的に卓球論を展開し、自ら目の前の事象を理解出来るような考察力の育成を目的としていた。

しかし、現在のターゲットはさんすう・りか・こくごをやっている子

こうした層は抽象化、具体化の関係であったり、原因、結果の関係であったり、物事の順序の理解、言語表現の言い換えの能力は明らかに乏しい。論理展開をする上で前提を説明しようにも複雑になった途端に理解することを放棄してしまう。

こればっかりは私の説明不足となってしまうだろうが、一から丁寧に教えるとておおよそ20コマの講義は必要となるだろう。実際私の解剖学的考察をプリントして、特別授業の枠で使って下さっている知り合いの中学教師もいるくらいだから、そもそもすぐに説明するのも不可能なものだ。

小さい子達に教える時に最も重要なのは実演すること、これに異論を唱える者はそういないだろう。

実際に出来た時の効果を実感することで、理由はわからずとも良いものは良いと理解し、使おうとしてくれる。

そこで体に成功例、失敗例を刻み込むことで何が良くて、何が悪いかを記憶として残しておく。

なるたけいい時に褒めて、悪い時は「良い時のをお願い」と懇願、この繰り返しが意外と単純に刺さる。

このいい時、悪い時を知るためには、ほとんどのケースで試合で何度も負けなければ身体に記憶出来ないのだが、多球練習でパターン毎に高速学習させることで、経験値が貯まり、帰納的に正しい方法論を教えるに十分な状況にまで上達させることが可能となる。(この方法論は数学において、ある公式を用いる際に決まっている型をまず覚える学習法に類似しているだろう。)

ようやくその段階まで達したところで、「肘の屈曲と肩甲上腕関節水平屈曲+屈曲運動のスイングスピードに与える影響の違い」であったり、「打球点を前にすることの物理学的考察と実際のプロ選手の打点と打法から考察する現代卓球のゲーム性」であったり、「解剖学的に考える三球目におけるフォアミドルの有効性」であったり、「一般的バックハンド打法論に対するトップメタとしての緩急の使い方」など試合に直結する重要なポイントを議論することが出来る。

勿論、専門用語をより簡単にし、試合で同じ展開を作り成功経験を積ませることを通じて体感的、あるいは直感的に理解できるように誘導するが、それでも小学校6年生にもなると大概の言葉の意味は理解できるようにはなってきている為、指導が容易になってくる。

もしこの子達に週3で定期的に教えられたら...と夢を描くものだがそうもいかない。

しかし2週に一度程度しか教えていないのに教えたことをきちんと理解して、論理的ではないにしろ直感的にプレー中に場合分けを行って技術の取捨選択を行えるようになっていた。

教えた内容が使える場面、使えない場面を自力で見つけられるような原理原則を含めたワンポイントアドバイスを浸透させた効果が時間が経って出てきている。

論理的思考は過程を完璧に理解していなくても、重要な場面だけ抜き出して理解さえ出来ていればそれで十分、この子らが自分で考えるに至る最小限の過程を覚えさせることで、彼らは卓球を通じて論理的思考の訓練を積んでいたのだ。

ここが卓球の面白いところだろう。考えることが多いし、考え方も多種多様なのだ。

その上、卓球はラリーが一瞬で終わるし、細かいコントロールが効かなければ序盤で詰むし、そこまで大きな動きが出来ないから効率化した動きが求められるし、完全に個人競技だしで、ただ漫然とするだけよりかは考えに考えてくみ上げた方が面白いし勝てるスポーツ。

腰を落とせ

と言うだけでも、背中を丸めるの(骨盤前傾)か、股関節屈曲を用いるのか、膝関節屈曲を用いるのか、で打法・打点の設定が著しく変わってくる

短くサーブを出す

為には、優しく打つ、当てるだけなんて言う人もいれば、エネルギー保存則と高校レベルのベクトルを用いて必ず飛ばない物理理論を作ってしまうバカもいる

私の親友なんかは研修医となり、卓球をせずひたすらJSTAGEで論文を読み漁っていた

卓球を深く理解する為には幅広い学問知識が必要で、より知る為に必然と勉強をしてしまう

卓球を好きになると言うことはすなはち、勉強が好きになることなのだ

勉強が好きになると言うことは、どんなことでも知りたくなる好奇心が生まれる

好奇心が強く文化的知識が深まれば、人生が豊かになる

そう、卓球をすれば、人生が豊かになる

そう、だから、ジジババはラージボールをするのだ

ノーマライゼーション卓球大会もそう、卓球を通じて、誰もが心が豊かになれるのだ

さぁ秘書さん、もう一回言います

秘書さん、息子さんに卓球させましょうよ!!!!

1年目研修医 佐藤 拝

2019年02月05日

研修医

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