研修医の声
油売り、鶴岡を救う。
お盆前の三連休、私はやることなしに研修医室で油を売っていた。
いや、本当はやりたいことがあった。緩和の患者さんが前日に新規薬剤を導入したから、念のためのカルテチェックと、翌々週が期限のパワポを作成しなきゃいけない。
カルテを見るのは一瞬だ。いつものルーティーンでERカルテを見るついでにしてしまえばそれまでだ。しかしてどうにも、普段は筆が軽い私も、「期限」がつくとどうにもやる気が出ないもので、意識した途端に筆が重くなる。
そうしていつしかスマホを弄り始め、感触の無い牌で遊び一喜一憂を繰り返すのだ。
いつもであればそうして時間を潰しながら、私が売る油を買ってくれる「お客さん」を探すのだが、お盆シーズンというのもあってか閑散としている。
夏休みを重ねている研修医も多く、賑わしいはずの研修医室ががらんどうとなっていた。
これでは商売あがったりだが、すぐ帰ろうにも腰が重い。かんかん照りの外を思い出してしまえば、夜になるまでぐだついていようなんて邪な思いも出てきてしまう。
ちょうどおやつを買おうかとソファーから立ち上がろうとしたところにFが現れる。
学会発表の資料を作らなきゃいけないらしい。
「いっぱい直せって言われたよ...。でもその直せって言われたところ先生に貰った部分なんだけどね。でも頑張るよ。」
素晴らしきポジティブさ、私であれば世の不条理に嘆き、気付けば国が悪いといい始めるところだろうが。しかしてこれはチャンスだ。こう不満を抱えながらも自らをたたき上げて頑張ろうとしているのは、得てしてハリボテの時が多い。
つまりつつけば倒せる、「お客さん」なのだ。
私「七時から...」
F「八時半からなら!」
ノータイムだった。時間制限を設けることで彼の仕事はむしろはかどったようだ。
お盆シーズンだけあって鶴岡駅前には人が溢れかえっていた。かつての地震の際に見た、閑散とした鶴岡駅前とは違う。いつもこうであればいいのだが...とも思うが行きたいお店がどこも入れない。
試しに本日は予約の方のみ、と表記されているお店にも声をかけてみたが叶わず。
人が多いのはいいけれど、こうして入れないようだとなぁ、東京と変わらないじゃんと肩を落としながら初めて入るお店は、エスモ近くの三軒並びの一角。
妻夫木聡がいた
と言われる某店で、昔ながらの店内に、地元民に愛されるだろうつまみのラインナップと日本酒の品揃え。
shooting starがあり日本酒党が集まるのもわかる。
豆も時期相応、一番おいしいものが出てきておりただただつまむ。
しめはやっぱり岩海苔おにぎり、なんて完璧な並びなのだ。
満足度高く、駅前から公舎までダラダラ歩く。
あれだけ暑かった外も、日が落ちれば涼しくなるもの。酔っぱらってるくらいで歩くのが気持ちいい。
あっ、ピッチ忘れちゃった。病院よろ
それなら、と私もカルテチェックがてら研修医室に寄りたいし、研修医室へと経由する。
ひとしきりカルテを見て、ピッチをみつけ帰り支度をしようとFが立ち上がろうとした時、「うわー」という彼の声に重なるように「奴」が鳴り始めたのだ。
みーんみみみ、ばさばさ
我々を威嚇するようにか、はたまた恐怖から絞り出しかのかはわからないが、飛んで鳴ける夏の風物詩が研修医室で舞い踊る。
なぜ「奴」がいる?
Fがこう思慮を巡らせ始めるのも束の間、Fの近くを飛び回る。
「うわわわ、うわー」
よもやセミをも凌駕する。これで飛べればFもセミだ。
流石に二度目の近接戦をしかけられたところで、心が折れたのだろう。やれ服についてきただの、ずっといただの、そうした奴がいた理由を考察することはやめてしきりに同じことを言うのだ。
な、な、な、なんとかして~~
「おいおいおい、たかがセミくらいで何をいうのか。所詮明日来たら死んでるんだ、何なら放置してもいいんじゃないか。自然との共生というのもまた乙なものだよ」
多少ふざけていってみると、
セミの命は一週間っていうじゃん、そんなことより明日救急の遅日直なんだから、これじゃあ働けないよ~~~捕まえて~~~
重症患者だ。確かにこれじゃあ働けない。よもや診る側から診られる側のメンタル患者と思われても差し支えない。
多くの鶴岡出身者が帰省している今、働けないとなれば市民にマイナス、仕方ない、この佐藤が鶴岡市民の安全と安寧の為にセミを捕まえて見せましょうぞ。
しかして、セミをじかに触るのはいささか抵抗がある。というよりもし逃げられた時のことを考えれば...ふーしゃのレジ袋越しの方が良いか。網は無いからうちわで追い込もう。
二つの武器で以て十何年間が振りに「セミ取り」に挑んだ。
奴は触られてから逃げる習性があり、正面から追い込まれた際も左右に逃げようとするよう。
分析はなされていたが、こちらが酒が回ってるのはいいハンデだったのか三回逃げられてしまったのだが、デスクの下に追い込むことに成功した。
追いかけまわしすぎて怯えている様子で、何なら明日までこのまま置いてあげたい気がしたが、それ以上にFが怯えてしまっているので心を鬼にしてFに「やっぱりかわいそうだからこのままにしておこう」と話してみたが、
だめだよぉ~~~~~~~~~
と固辞されてしまった為、セミをひとつかみ。
レジ袋にいれてしまえば、鳴かれても飛ばれても怖くはないもので「さあ帰るよ」と店じまいをしようとしたのだが、
うわ~~~こわい、うごいてる~~
と。よっぽどなものだ。
それでも彼らは長い年月をかけて、この一週に向けて頑張ってきたのだから、他のセミには味わえない稀有な環境でのフライトを楽しんでもらえてもよいのではないかと思うのだが、ね。
東口に出て少ししたところで、空に向かって奴を放り出してみた。
もう入ってくるなよ~~
と、ベタな一言でもかけてやろうか、でもそれじゃあ趣がないからしゃれたことでもないものか、なんて考えているのも束の間、みんみんみんと大きな声を上げて出てきた東口から再び院内へ突入。
一部始終を見ていたのは私だけだったが、まあ何とかなるでしょうと見て見ぬふりをして帰ろうとしたが、やけに騒がしいのがFの耳についたらしい。
また入った?
やれやれ、これが聞こえるとなると再び仕事をしなきゃならんな。
そう思って東口に向かうと、警備員さんたちが集まっていた。
我々よりも近接戦、素手で鷲掴みにして、東口から出てきたのだ。
素手って強いね
力強く自然と共生している姿を見ながら再び帰路につく。
病院に来るときは気付かなかったのだが、病院回りでセミの死骸は多く目につく。
より田舎の地元だったら、そんな光景ザラにありすぎて気にもしないのだが、気にしなきゃ見えないものも多いのだろう。Fについていったけれど、元気に出ていった「奴」もいるのだから...
かくして、Fは翌日のERにつく。相当に激動のERだったようで、私も手伝いにいけばよかったと悔やむところではあるが、事前に申請しておかないとダメだというのがルールというものだ。
カルテを見る限り、彼は獅子奮迅の働きをしていた。
まごうことなく、鶴岡の医療に貢献していたのだが、その裏に油売りという名の縁の下の力持ちがいたというのは、あなたにしかわからないことなのだ。
2年目研修医 佐藤
2019年08月17日