研修医の声
【プロローグ】鶴岡消防×荘内病院DMAT 合同演習
10/5
土曜日の朝回診後
手術続きで無茶な体制で鈎引きしていた疲れもたまってなのか、もう何もしたくはないと研修医室の電子カルテの前にいた。
何か情報を拾う気があるわけでもない。意味もなくマウスを動かし、年齢のタブを押して100歳以上が何人いるかだとか、平均年齢は何歳だとか、救急は今溜まっているかだとか、別に誰かのカルテを開けるわけでもなく、ただ名前と年齢と病棟だけが羅列されているページをボーっと眺める。
何ともなしに手持無沙汰に感じてきたのもあってか、更新ボタンを連打してみる。
画面に変化があったとしても、ああ画面が変わったな程度の感想を抱くだけで本当に無意味な所作だ。
こんな時に緊急で何かがあったら、院内ピッチが鳴ったら、そう考えるだけでもおぞましい。病院内にいるだけでもリスクファクターと成りうるのに、本陣から動こうともしない私が動く為のモチベーションは、其れこそ緊急案件ぐらいか。
全く皮肉も甚だしい。そういえば今日はジャンプの早売りはないのか?土曜日恒例、またファミマを覗きにいこうか。だが最近立て続けに読んでいた作品が連載終了となり、買いにいくのも少し足が重い。
ああ怠いな、そんな思いが心に漏れてしまったのだろうか。
「あたしも」
その声の主は同じく外科ローテ中のH。
彼女もまた外科の喧騒の中に生き、朝回診後の一時をただ何もせず過ごしていたのだった。
同じような境遇で何もしたくない同志がいるともなれば、少し心強い。
勇気を出して研修医室から出るにしろ、勇気を出して食堂にいくにしろ、勇気を出して病院から出るにしろ、誰かに宣言してからのほうが少しシャキッとする。
しかし、言葉にしてしまえばそれはやらねばならぬこととなる。
言うなればどうだろう、「私はやることが無くなったので帰宅する」だろうか。
疲れたので家で休む、当たり前なことのように思えるが、これを宣言・実行することは疲れた体からすればまさしく勇ましいことだ。
「どうだ、私は疲れた体を休ませる為に帰路についてやる、参ったか。」こうHに高々に宣言しよう、そして歯ぎしりして悔しがる姿を見て小馬鹿にしたように、「君もお家に帰りなよ」そういって憎たらしく当たり前に家に帰る、そう胸に決めた。
まずマウスから手を放し、画面上でのマウスポインターダンスをやめる。院内ピッチを充電器に差し、院外ピッチを探す。
靴下を履き、鼻水を噛む。少しお茶を飲み咳払いをする。さあHよ、心して聞け、私は、私は、疲れた体を動かして家に帰ってやるのだ。
そう、Hの方に振り返ったところで研修医室のカーテンが勢いよく開いた。
「おーい、暇している研修医はいないか」
季節外れのスキーウェアのようなジャンバーを来た大柄の男が、研修医室をひとしきり見回す風にして、眼前に座る私とHを逃がさぬとして見つめてくる。
対照的にぎょっと目を見開き、即座に目線が合う。
彼は、我々のボスであり、オーベンであり、師だ。我々を統べるもの。
スタミナお化けとして崇める外科のドクターだ。
我々が疲れているのはなんのそのと、「さあ立ち上がれ」と言わんがばかりに視線と言う名のムチで我々の全身を叩きつくす。
やれやれ、何かイベントか、先生には申し訳ないが要件によっては断ろう。
「まぁ...」
失礼を承知で声を絞り出して見る。
「さぁ、テレビに出ようか。」
思いもよらぬその一言、見開いた目が更に見開く。
状況から察するに、そのスキーウェアの胸元にはDMATという文字が。
おおよそメディアは災害関連には飛びついてくる、その類の取材がこれから入るのだろう。これはすぐさま気付く。気付くと共に私の口は「行きます」と、体の訴えとは裏腹に答えていた。
「テレビ...?」Hも乗り気ならしい。
「じゃあついてこい。テレビに出ようぞ。」
かくして我々は、DMAT隊長に半ば半強制的にテレビという誘いに誘われ、あれだけ出ることを拒んだ研修医室から引きずりだされた。
「とりあえず、お医者さんっぽい姿になろうか」
隊長の言葉に、当時スクラブ姿だった私は、ネームプレートと小児用聴診器とスマホを持ち、研修医室を後にした。
既にこの時、「小児用聴診器は、見る人が見れば笑えるかも、とよこしまな気持ちがあったからもってった」と、テレビに出た後に馬鹿話をする為の小細工を仕組んでいたつもりだったのだが、結果的に持ち物全ては奇跡的に活躍することとなる。
そう、私はこの時、その「イベント」がどういうものなのかは全く知る由もない。
加えて相当な軽装であったこともまた、後に悔いることとなるのだが...それは次回に語るとしよう。
2年目研修医 佐藤
次回:
真の敵は災害ではない~DMAT&消防の初合同訓練が織りなす壮絶な無茶振り合戦~
2019年10月11日