研修医の声
8東大忘年会④ エピローグ
我々の普段の生活は、命のやり取りの現場にいて華々しく感じることはあるが、その一方で「医学」以外は無味無臭のような代り映えのないようなものだ
ふつう春になれば窓を開け、自然の息吹に耳を、目を、鼻を傾ける。夏になれば暑さに負けて薄着になり、かき氷なんか食べたりする。秋になれば土日にいろいろ出かけたり、冬になればたくさん着込んで外に出ない。
それらは日常に密接にかかわってくることだから、意識せずとも無意識に行う、四季折々に準じたこの地に生きるものの習性みたいなものだ。
しかしてあんまりおうちに帰れず、病院にいる時間がほとんどの暮らしをしていると季節の変わり目を感じても、それを全身に受けることはあまりない
春も夏も秋も冬も、人工的に最適に管理された室温の中で過ごし、いつも決まったスクラブや白衣を身にまとう。
食事も食堂で野菜たっぷりを食べたときくらいだろうか、季節を実感する瞬間は病院内では乏しい。
せいぜい外から眺めるサクラが綺麗だったとか、花火大会あるってよとか、通勤でえらい目にあった雪無くなれよとかその程度のものだろう。
かくいう私はこの地に居ながらそうした暮らしをしているのだから少しは歯がゆい。
かつての生活と比較して自然の微細な変化を肌で感じて過ごしてきたのだから、「今外に出ないでどうすんの!!!!!!」「帰りたい」と絶叫するのも半ば当然だ。
だからこそだろうか、少し寒い廊下を歩くと今の時期はうきうきする。窓のすきまから入る、刺すような冷たい風は冬の記憶を呼び覚ます。高校のお昼休みにローソンに抜け出してチキンを食べて美味しかった、寒空の中迎えの車を待ちながらぼーっと鶴岡公園の白鳥を眺めた、ついこの前その白鳥にテレパシーを送ってみたら通じたのかずっと見つめ合った...どれも寒さの感覚と共に情景が広がる。
「冬だから寒いほうが面白い、そんな一面もあるよな。」
一次会終盤にはもう話すのもだるくなってきて、そんなことをぼけっと考えているとちょっとした違和感に気付く。
この旅館、すきま風が全然入ってこない。
立地も立地だから、やっぱり精密に作られているんだろうな。なんか病院みたいでちょっと嫌。もうちょいぴゅぴゅーしてたほうが...ってそんなの誰も望まないか。
感覚的な慣れとは、浮世離れと言っては言い過ぎかもしれないが非日常空間で日常考察にいそしんでいた私を一気に現実に引き戻したのがKYだ
普段慣れないことをしたのだろう。一番緊張したというリコーダー・KYは、いつもよりお酒を飲んで具合が悪そうだ
もう飲むなんて言うなよ...酔っ払いの面倒見るのはもうちょい時間置きたいぞ...
散々な目にあったこともあるし...なんてのは杞憂だったようで、空気の読めるKYはほどほどで切り上げさせながらお部屋に帰るという
「でも二次会は行きます」、と力強い
最悪の場合、消化管のプロがうじゃうじゃいるから、ぶっちゃけやらかしても大丈夫だからそれじゃ行こうと。
無理をしない範囲で歌って満足したのか、それとも具合が悪いのか
「お疲れ様です」
颯爽と真顔で体を左右に揺らしながら進むKY
その英断に私は笑顔で送り出す
かくして場面は三次会に移るとき
「そろそろ寝るわ」とはっしー先生もおやすみモード
私もねむいから、乗じて帰ろうかしらと「一度お部屋に帰りましょう」と隣部屋まで一緒にと
「ピュー」
リコーダーかと思わせる高音が、ドアの向こうからこちらに投げかけてくるように聞こえます
直感的には原因はわかるものの、少しそれは想像したくない
まさかKYが寝ぼけてリコーダー吹いてるなんてな
そんな冗談で済めばいいのだが...それならピューじゃない、ピィェーだ、たぶん高いソだ
ピューなのだから...それしかないはず。んでもそれなら可笑しいな。
ここの旅館のつくりは非日常空間を演出するため。おおよそ地元民が来ても「安心」して過ごせるように気を使ってるはずだから。本来ピューは聞こえてはならないはずなのだ。
どうせSSK辺りが「いたずら」したんだろ?と、説教してやると思いながらドアを開けようとする
そう、「開けようと」する
しかし、あかない
「・・・」
違和感と共に沈黙してしまう
どうもこの違和感を、はっしー先生も感知したようだ
状況を整理しよう。
・ドアノブは回る
・ドアが重くて押せないのだ
結論、どゆこと!?
部屋のドアは「引けない」はあっても、「押せない」は基本ない
医師公舎であれば高気密だから換気扇強をつけていれば、陰圧室になっているからドアを引くのに力がいる
この宿のドアは押すタイプ、陰圧室になっているとしたら押すのは簡単なはず
押せないということは、それなりの「陽圧」がドアにかかっているということ
ここらで「いたずら」であることを確信する
SSKめ、何やってんだ、関西ノリでもやっていいことと悪いことがあるだろ...
お前のせいでKYは、KYは...やばいかもしれないんだから
確実にお前ははき違えている
ここはただの海沿いじゃない
そう、ここは、ここは...
「荒れに荒れ狂う荒波、日本海だぞ!!!!負けるか日本海!!!!おいしい鶴岡!!ユネスコ食文化!!!!たぎれ、庄内魂!!!!」
身をドアに預けるようにして、文字通り身一つでドアの向こうの「それ」と戦った
ドアが開くに連れ、徐々に明らかになる敵
「え、?え?さむっ...」
つぶやいたのは奇しくもはっしー先生、風撃を被弾したらしい
ドアをすべて開け切ったところで私の眼前に広がるのは、惨状そのものだった
カーテンは「ヴァサァ」と、はち切れんばかりに威嚇してくる
そして先ほどよりも強く聞こえる波の音
日本海から吹き荒れる風は、窓から10m弱は離れているはずの私を包み込む
一歩踏み出そうものなら、全てを切り刻まんとする
しかしそれに負けていては庄内魂が廃る
対抗しようと私は、仁王立ちした(呆然とした)
我に返って辺りを見回した
KYがいない
まさか、あいつ...波にのまれたか?
海はそこまで強いというのか...?くそ、うちのKYを...なんて茶番を一人胸中でしているうちに何かが足にぶつかる
恐る恐る見下ろすとそこには、全身を布団で覆い、がたがたと震えながら悶えているKYそのものだった
シバリング...
加えてゴロゴロと細かく転がって、寒さに耐え忍ぼうとしてる
ーーーーこのフォトジェニックな、一場面を後に佐藤はこう表現したという
「KYは真冬の浜辺でも一人、寝れる男だ」----
音のない時間がいくばくか経過したところで、「どしたん?」とはっしー先生が部屋に中の様子を見に来てくれたが刹那、絶倒した
「KYだくんwwwww」
忘年会にしては忘年出来る自信が無いほどの、強烈な一撃だった
程なくして私は窓を閉め、安寧を手に入れた
外気温とほぼ変わらない、寒いお部屋とともに
翌日SSKに問い詰めた、「お前だろ、全くだめだぞ。ほぼ日本海だぞあの部屋」
「いや、俺じゃないっすよ。部屋に帰ってすらないんで。ほんとに」
言われてみればそうだ。こればかりは理不尽だな...謝りはしないが
んじゃKY自信に聞いてみよう
「あっ、あれ自分っす。暑かったんで」
暑いからって全開するかよ普通...
日本海の浜辺で寝てたのと同じだよそれ...
さむがってたのお前じゃん...
「はい、寒かったっす」
閉めようよ...
エアコンはこのボリュームあるじゃん。これ閉めれば暖房とまるから
「あ、気付きませんでした 笑」
KYはマイペースそのものだった
彼は暑ければ窓を開けることを躊躇しない
例えそれが、真冬の庄内で地吹雪が吹き荒れる日だとしても
それでこそKYだからか
一昔前に流行った
空気が読めない
なのだから
KYがKY故に納得してしまった、これが日本海に抗った男の率直な感想だ
2年目研修医 佐藤
2019年12月22日