研修医の声

The Power

よく地元の知り合いと話していると、ここぞとばかりに言われる「頭のいい人は変わってる」とかいうレッテル張り。

長い文脈で見れば「変わってる」とされることも、当たり前にまっとうなことをやってるだけなのに、人から聞いたり見たりした話から一部分を切り取って揚げ足を取るかの如くマウントを取ってくる。

「どこどこの医者はあんなこと言った」と、当たり前にやさしく接する先生が多い中で、これもまた一部分を切り取って印象操作する手法もよくあるもの。

レッテルを貼る割には、そのレッテルを貼るために用いる情報のソースが正しいか否かを考えもせずに信じ込んでしまうのが正直信じられなく思うものだが...普通は目の前にある情報を人は疑おうとしないのだろう。

だからこそどんな情報であっても疑い、正しいものと正しくないものを分けて考える人たちは「変わってる」としてレッテルを貼られてしまうのだろうか。

なかなかに皮肉が効いている...詳細は語らないが。

以前から情報を鵜呑みにすることで「やられる」ことがある-無意識な情報操作によってミスリードされてしまう-ために、救急ではソースの確認と医学知識で以て考察が必要だと言ったり言ってなかったり。我々はすべてを信じてはいけない仕事を求められている。

昨今色んな家庭環境、色んな経済状況、色んな社会的状況の中で悩みながら生き抜く患者さんを見ていると、その人の一部分を切り取ってみるのではなく、その裏まで考えこんでしまうことがある。空想の域を出ない、攻撃的な言動や非協力的な言動の裏に、何か自己肯定に繋がる価値観であったり利得があるのではないかと。

如何せん考えたところで別に変ることなど一つもない。ただ少し、患者さんに優しく接することが出来て、心に余裕が生まれるぐらいだ。

思いやり一つで一方の心が優しくなれるなら、そのほうがいいに決まってる。

お互いに思いやって、それを汲み取って接することが出来れば、どこであっても居心地がよくなる。

こんなことを平然と言ってしまうのも、日々囲まれている環境が、先生方が優しい人ばかりだからというのもあるでしょう。

外科の先生方の懐の広さ、人間としての奥深さには日々感嘆、日々感謝。

外科っていうとどこも体育会系で上下関係厳しいようなイメージがありますが、ここはとにかく優しい。体育会系の割には文科系のようなのほほんとした...いや文科系の方が人間関係ドロドロしてるからこれは嘘。

やっぱり体育会系で、居心地がいい。もうすでに、ここから離れるのが辛い。

そんな愛着を持つ荘内病院外科は2チーム制、それぞれに特色があっておもしろい。

例えば私が今いるチーム。チームコンセプトが「外科はパワー、手術はパワー、おいお前肉食わなきゃやってけねえぞ」

・・・おい、あれだけ丁寧に繊細さを語る前置きをしておいて、何がパワーだよ

このようなツッコミが聞こえてくるのだが、もう知りませんし聞こえません。

傾聴?繊細?優しい?丁寧?それだけで医療なんてのは務まりません。人の生命力は計り知れない、パワーがとっても詰まってる。実際はパワーにはパワー。パワーなくしてパワーにあらず。

閉創時、医療用ボンドを塗る際のこと。「パキッ」と折るのが足りなくてボンドの出が良くありません。

そんな時上の先生は言うのです

「パワーが足りん。パワーだ。」

少し力を入れてみますが、それでもどことなく出が悪い

「もっと。パワーだ、パワーだから」

「ブシュ」と勢い溢れて出てくるボンド、飛び散る様子を眺めて「そうだ。パワーだ」

「外科はパワーだ。」

ボンドを塗り終える、その30秒の間に飛び出たパワーは溢れんばかり。

やっぱりパワーなのかなぁ...私は絶対認めない。外科が体育会系でパワーだなんて、イメージぴったりすぎだって。

ICUに帰ろうと持ってきたベッドに患者さんを移し、さて帰ろうとベッドの柵を上げようとする

しかして、なかなかきちんと上がらない

構造的に、下からガチョンと上げる際、横のポッチを押さなきゃいけないよう

パワーに頼らない、知性の塊である私はその構造にいち早く気付き、美しく柵を上げる

対して先生はまだまだ上がらないよう

「なんだこれ、上がらないな、どうなってんだ」

呟く先生をしたり顔で眺めながら私は言おうとする

「そこのポッチを...」

「ふんっ」

割と大きめの音と共に柵が上がる

「パワーで全部解決」

マジでそういうもんなんすか...

パワー系チームは現在平均身長175ほど、がっちり体型が4人と細マッチョの先生が1人

自分も含めて、確かにパワーしてました...

ーーーーーーーーーーー

さてさてもう一方のチームはどうかと言えば、こちらは「パワー」という言葉はめったにつかわない

技術、知識を売りにしている。平均身長は160ほど、女医が2人と麗し美し素晴らしい

何があっても「技術だ」と即答(されたことは無いがそんな雰囲気)。とてつもない知識、技量、発想に溢れており、「やっべぇな・・・」と自分には出来なそう過ぎて驚くばかり

ただ、その中でもパワーなのがある。そういうときほどあえて揚げ足を取りに、つっこみを入れてみる。

「これパワーですよね」

「いや、これ技術」

胸を張られたその時に、「パワーじゃん」と胸中で反芻した日々を私は忘れない

「技術で解決」※ ただしパワーも技術に含む

しかしてこのくだり、私は深読みを入れてしまいます

例えパワーと言われたものでも、実際はパワーではないのではないかと。

本当にパワーであるなら、力MAXに使うわけで、タイミングとか知識とか何にも関係ないはず

ボンドだって完全パワーだったらぶちまけてるはずだし、手術中のパワーだって度が過ぎれば合併症

パワーという局面ほどパワーが必要になるものの、上限値が設定されている

おおよそ慣れていない人間だとパワーが必要とされる場面であっても、思いのほかパワーを出さない

いわば加減の仕方が分からないから、ちょっと出してみるぐらいになる

パワーの上限があまりにひくいのが素人

適度に高いのが上級者と言ったところだろう

スポーツなんかでもそうで、力の入れ方が下限、上限共に実際のプレーの中で使える範囲で極値に近いと上手ですものね

この意味でもパワーの使い方は知識と技術

こちらのチームはやはり技術推し

学生さんが回ってくるとよく連れてくのは焼き肉屋、もう一方のチームは「肉」とざっくりがさつですから、こちらはかけらもありませんね

焼き肉はおしゃれです

---

「外科はパワー」

この言葉を土日の研修医室で一人呟き、じわじわ笑いが込み上げてくる

H「え、そんなの当たり前じゃないの?外科はパワーじゃん」

パワーなさそうなお前がそれを言うとは十分に洗脳されているように思うが、パワー溢れる人間だからこそそこにシンパシー感じたのかな

やっぱり、頭のいい人は変わってる。

2年目研修医 佐藤

2020年02月21日

研修医

このページの先頭へ戻る